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Archive for 6月, 2009

いじめとノイローゼ

Posted by きりり On 6月 - 16 - 2009

あなたは今までにいじめられた経験はありますか?
または、いじめた経験がありますか?

加害者にしても被害にしてもどちらかの立場か、
もしくはいじめを見届けているだけで何もできなかった人など、
とにかくいじめという問題に携わったことがある人は多いと思います。

いじめられた方はノイローゼになりそうなくらい
恐怖を抱えている場合があるのです。

親鸞会によって助けられた友達がいると紹介しましたが、
私も実は一時ですが、いじめられたことがあるのです。

ですがその前は、自分はただ見ていて助けられなかった傍観者でした。
自分も止めに入ることができずに、何もできずにいるという
ある意味加害者の自分でした。

次は自分がターゲットにされる・・・と思うと怖くて何もできませんでした。
でも結局自分もいじめられてしまう番が来てしまったのです。

その時に思いました。
結局自分がいじめのターゲットにされて、
止めに入らないで友達を見捨てて後悔するくらいなら
最初からいじめを止める気でクラスメイトを助けてあげればよかったと。

それからはある意味開き直り、強気な態度で過ごしていました。
友達が一緒にいたくなければいてくれなくてもいい。
私も怖くていじめを止めることができなかったんだから仕方ない。
物を隠されれば見つかるまで探せばいいんだ。

とそんな強気な態度に腹を立てた人もいたけど、
私を見て以前順番にターゲットにされてきた友達が
どんどん私のところに寄って来るようになりました。

私はその時ずっと強がってはいたけど
すごくうれしくてうれしくてたまりませんでした。

それからはクラスでいじめの問題は一切なくなりましたが、
当時無視され続け、存在すらも否定されたこと、
親に買ってもらった大事なものを隠されたり捨てられたりした
悲しみは一生忘れないと思います。

私は幸か不幸かノイローゼにまではならなかったですが
ノイローゼ気味になってしまったクラスメイトもいました。
その時をきっかけにその子は学校に来なくなり、
しばらくして転校していきました。

その時に何かしらのいじめの対策でもしていれば、
その人も普通にみんなと一緒に学校を卒業していたのかな、
この辺に今でも住んでいたのかなと思うと今でも後悔します。

いじめは身近な存在

Posted by きりり On 6月 - 3 - 2009

いじめなんて自分には関係ない・・・と思っていても、
いつの間にか自分がいじめの加害者か被害者、
または傍観者になってしまっていることだってあるかもしれません。

見て見ぬふりは私に言わせれば加害者と同じだと思います。

問題は山積みになり過ぎて、それらの問題は
一向に解決しないまま次の問題が
また出てきてしまっているような気がします。

私の知り合いでも、いじめで自殺まで考えた人がいます。
問題を解決してしばらくしてから私にその報告を
初めてしてくれました。当時どんなに辛かったんだろうと思うと
胸が締め付けられる思いでした。

何よりもそのいじめられる人も苦しいけど、
その人の親もいじめのことを知ってしまうと
もっともっと辛い気持ちになるかもしれません。

その時いじめの対象になってしまったその人も、
自殺まで考えてしまうくらい問題を多く抱えていて
ものすごく辛かったそうです。

でも自殺しなくて本当によかったと思います。
もしいじめ問題が原因で自殺・・・何ってことになってたら
両親はもちろん、兄弟や祖父母、友人などもどんなに悲しんだでしょう。

ですがその人が立ち直ったきっかけは、辛い時にいろいろ調べていると
親鸞会のホームページと思われるところがあったそうです。

人生の目的と何か?生きるのはなぜか?ということを考えだした時に

そこの親鸞会のホームパージで一番に心を打たれた言葉は、

【苦しみの波の絶えない人生の海を、明るく渡す大船がある。
その船に乗り、未来永遠の幸福に生きるためである。
どんなに苦しくとも、この目的果たすまでは生き抜きなさいよ】

・・・と、その言葉によって
自分は自分の幸せを求め、そのためには
これから訪れる苦しみをたくさん乗り越えなくちゃいけない。
今他人に振り回されて命を絶つ考えを持ってはいけないんだ。
幸せだと思えるまでは絶対に生き抜いてやる!!

そう思うようになると、すごく楽になって、
いじめの問題はしばらく辛かったけど
何とか耐えていくうちにその堂々とした態度から
いじめの問題は少しずつ解決していったんだとか。

こんないい言葉にたまたま巡り合うことができて、
それによって考え方が変わり、自殺を考えなくなったのは
その友達が生かされる運命だったんでしょうね。

まだ死ぬ時期ではないとその親鸞会のホームページで
気付くことができたのでしょうね。